実際それを苦にして命を絶つ悲しい事件がありました。行き過ぎたとか不適切な体罰はあってはならないし糾弾されるべきではあるけれど、だからといって体罰を全否定するのはどうなのかな?と思います。
つい最近息子の担任の先生から連絡があり、息子が先生から注意を受けているときにふざけていたとの報告を頂きました。
家で同じことをしたら間違いなく鉄拳制裁です

僕が小学生の頃は竹刀を常に手に持って何かあるとお尻を叩かれたり、ビンタされたりということが日常茶飯事でした


そういう先生だからといって四六時中恐ろしい思いをしたわけではなく、むしろコミュニケーションは密にとれていたし、問題は生じることはなかったように記憶しています。
場の空気を感じとることは勉強を教わることと同じくらい教育の現場には必要とされているはずなのに、それを教える手段としての最終手段としての体罰が許されないというのはものすごく不自由さを覚えます。スポーツの世界も仲良しクラブでぬるま湯に浸かっているだけならいいけれど、上を目指すなら、ましてや世界を目指すなら厳しいことが当たり前だと思います(体罰の有無は何ともいえないけど・・・)
度が越えたから問題になっているわけですが、それが原因で萎縮してしまうとすれば本来必要とされるものまで削がれてしまいダメになるんじゃないかと危惧します

そんなことを常々考えていたらこんな発言が取り上げられていました。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDE09005_Z00C13A2PE8000/
マスコミは発言の字面だけで下らない批判を加えることをせずその真意をきっちり伝えてもらいたいと思います。
体罰が無い世の中がいいにこしたことは無いけれど、やみくもに廃止だ!と息巻くのではなく、伝家の宝刀的に最後の最後の手段として持ち合わせておく必要がなぜあるのか?を真摯に考えないと行けないんじゃないかな?と思います。

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