我が家だけか、どこのご家庭もそうなのかは分からないけど、子供を教育することって回答のでないとてつもない難問に思います。親が背負う永遠の課題にすら感じます。
教育なんていうと勉強のことと思われるかもしれませんが、僕がここで言いたいのは人としてまっとうな社会生活を送れるかということ。とりわけ人に迷惑をかけない生き方ができるかということ。
この一点さえきちんと弁えていてくれたら、あとは勉強ができようができまいが本人の努力によるわけで、子供たちの人生が納得いくものか不本意なものかは彼ら自身の努力が必要だと思います。
何かを成し遂げたいと思う気持ちがあればできる限りのサポートはしたいと思うけど、そういう意欲もなければもう仕方がない話だと思います。
だらだらしない。
言われたことをすぐにする。
あいさつや返事を大きな声ではきはきと。
親が100%正しいとは限らないから、おかしいと思うことがあればきちんと反論する。
難しいことを求めているとは思わないんだけどなあ?
子供を育てるのは第一義的に親であることは言うまでもないことだけど、学校の先生や近所の大人達からも勉強以外に生きていくうえで大切なことを学べる環境があったのにそれが希薄になってきているように思えてなりません。
体罰が厳しく禁止され、先生の威厳がなくなり、緊張感も一緒に消えてしまいました。
ご近所づきあいもないし、周りの大人が叱ってくれるような機会も残念ながらありません。
甘やかされて育った子供がやがて親になり、その価値観が普遍化し権利を主張する。
そしてその環境で育つさらに甘やかされた子供が親になる。負のスパイラルです。
権利を主張することは同時に義務も伴いますが、権利のみ声高に主張している人が多いように思います。
僕の子供時分、小学校の先生は竹刀をもって授業をしていました。
僕はほとんど経験なかったけど、悪いことをした児童がいると、持っている竹刀で容赦なくお尻を叩かれていました。今なら下手すると新聞沙汰になったりしますよね!
もちろん緊張感もあったけど、それと同じくらい先生を慕う気持ちもありました。
感情に任せての体罰は言語道断だし糾弾されてしかるべきだけど、理屈に適う体罰は本人も納得できるはずだし社会も許容すべき鷹揚さが必要ではないかと思います。
授業参観に行くと、何をしても先生には怒られないから、言葉が悪いけど先生をなめてしまっているような気がしてなりません。それがひいては大人をなめるという風潮につながっています。
僕は子供にはかなり激しく怒るし、必要であるときは手もでます。
子供にとって怖い存在をつくることは不可欠だと思います。
親の心子知らずという言葉や、後悔するという感情は、子育てが思うようにいかないという永遠のテーマが堂々巡りするからこそ生まれてくるのかも知れません。
ほんとムズカシイ
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posted by Kazu at 20:47
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